作成日 : 15-08-07 15:14
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療養中は本当に力が無くなり、普段はできることが出来ないつらさがありました。
そんな頃のある日、休んだ後に部屋を出ると、廊下の台の上に繕い物が仕上がって置いてありました。
繕った上で、黙ってさりげなく置いていくself-effacement(自分を消し去ること、黒子に徹すること)が心に染みました。
そして、『小公女』のある場面が突然思い出されたのです。
小公女セーラが寒さと飢えと屈辱と憔悴のうちに寝込んでしまい、夜中にふと、とても気持ちの良い暖かさに包まれていることに気づきます。
暖炉には火が燃え、食卓がきれいに整えられ、温かいお茶やサンドイッチなど、たくさんの食べ物が並んでいました。
同じような仕打ちを受けていた友のベッキーと二人で幸せなひと時を過ごします。
誰がしてくださったことなのか、二人には分かりませんが、少なくとも自分たちの力になってくれる人が身近にいることは分かりました。
このことがセーラとベッキーに力と希望を与えました。
さて、このサプライズを提供したのは、隣家のご主人に仕えるインド人のラム・ダスさんでした。彼こそが、つらい境遇の中にいたセーラたちの「隣人」であり「友」でした。
これまでは、お話の中のこととしか思っていませんでしたが、このたびの療養の折に、修道院の中にも「ラム・ダスさん」がいることがわかりました。
「行って、同じようにしなさい」とイエス様が笑顔で私を送り出してくれます。(MR)
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