作成日 : 15-08-25 14:27
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管理者
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「あんな人といっしょにしないで!」
「私は違う」
「ホント、ウザイんですけど」
自己の安定を図るために、異質な人をはずそうとする傾向を私たちは持ってるそうです。
でも一時しのぎに過ぎませんよね。
異質なものと出遭った時、そこに神様からのサインがあります。
神様からしたら、私たちはまだまだ未熟者。
私たちにすべてから学ぶよう、機会を下さっている神様の「親心」に気づこう!
家庭の食卓で、必ずしも子どもが好きなものばかりがお料理に出てくるわけではありません。
親は、子どもの健康と成長のために、思いをこめて料理をします。
子どもの好き嫌いのレベルを超えて、子どもにとって善いものを提供していく親心。
嫌な思い、誰かを除け者にしたい思い、これらの思いは神様から与えられた「きっかけ」でしょう。
このようなこと通して私たちの心の容量を大きく寛くしたい神様の「親心」に触れられたらいいですね。
なぜ私は嫌だと思うのか、面倒に思うのか、避けようと思うのか…。
もし嫌だと思い続け、面倒に思い続け、避け続けたらどうなるのか…。
そういうことを考える「きっかけ」。
考え、祈り、そこから気づきを通して、私たちは様々な人を受け容れられるようになっていきます。
苦手なニンジンがお料理に出てきても、親の思いを無にしないように、どうやったら食べられるか工夫して、なんとか食べていた日々がありました。
そのうちに、ニンジンの美味しさに目覚め、普通に食べられるようになりました。
ニンジンが好物になったわけではありません。でも普通にいただけるようになったのです。
苦手な人がいたら、その人の善のために一瞬でも祈ることで、
いつかニンジンを克服したように、
苦手な人も、いつしか普通の人になっているのでしょう。
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