1878(明治11)年5月28日、当時の日本北緯代牧区のオズーフ司教の招きに応じてSr.マリ・オグストSr.Marie-Auguste Biard、Sr.マリ・オネジムSr. Marie-Onésime Chalvin、Sr.カロリーヌSr.Caroline Troch の3名が函館の東浜桟橋に降り立ちました。
迎えに来てくださっていた神父様と共に先ず向かったのは、元町カトリック教会です。そこで祈りをささげ、スールたちはミッションを開始しました。
捨てられていた子どもや病人の世話は急務でした。函館戦争の余波で、孤児や捨て子が多くいたのです。
マスールたちが日本に招かれたこと、そして特に助けを必要とする子どもたちの世話にすぐに取り掛かり、大火などの困難に次々と襲われても継続できた背景には、国際修道会同士の人々のつながりがありました。当時のフランスでは、カトリック信徒たちによる、恵まれない子どもたちを救い支援する運動が盛んだったそうです。その運動は、海外ミッションに赴く司祭や修道者たちを通してアジアにも届きました。
函館という街で、親がいず、食べられず、声もかけてもらえない子どもたちは、闇の中で身も心も強張らせていました。そのような子どもたちがスールたちと出会って、声をかけられ、名を呼ばれ、様子を聞かれ、友ができ、家族ができました。
スールたちだけではなく、そのスールたちを支援する国内外の多くの人びとのおかげで、シャルトル聖パウロ修道女会の日本でのミッションは始まり、続けられてきました。
どのような人たちも希望に生かされますよう、志を同じくする人びとと共に主の道を歩んで行きたいと思います。
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