1944年(昭和19年)第二次世界大戦の末期に東京の空襲が激しくなった時、外国人姉妹や疎開先のない東京の白百合学園生徒たちが疎開したのが始まりです。日本家屋に修道女と疎開生そして戦災で親をなくした子どもが同じ屋根の下で過ごすようになったのです。午前中は学業、午後は水を汲み、燃料の粗朶を集めるという日々でした。終戦後、疎開生は親元に戻り、養育されていた子どもたちのために児童養護施設「白百合園」が開設されました。後の「強羅暁の星園」です。この児童養護施設は創立55年にして平成17年3月でシャルトル聖パウロ修道女会の運営から離れて、他の社会福祉法人にのもとに移譲されました。
学校は戦中の白百合学園の疎開学園から、戦後に湘南白百合学園の分校となり、1951年(昭和26年)に「函嶺白百合学園」として開校されたのでした。 現在は学校での教育活動とともに、司祭の在住していない箱根教会で訪れる人々への宣教活動もしています。
学校は戦中の白百合学園の疎開学園から、戦後に湘南白百合学園の分校となり、1951年(昭和26年)に「函嶺白百合学園」として開校されたのでした。 現在は学校での教育活動とともに、司祭の在住していない箱根教会で訪れる人々への宣教活動もしています。
児童養護施設園児と
聖書の分かち合い