1892年(明治25年)3月18日、函館からSrオノリーヌとSrマリー・アスパズィーが盛岡に到着。1週間後にベトナムのサイゴンからSrマリ・ド・サクレクールとSrマリア・
ユステサントの2名が加わって東北の地での宣教活動が始められたのでした。Srマリー・アスパズィーは「お医者の童貞様」と親しまれながら、後の診療所「仁寿医院」の基礎をつくり、Srオノリーヌが学校を担当し「東北女学校」が開設されたのでした。
医院は昭和40年代に廃院されましたが、学校は「盛岡白百合学園幼稚園・小学校・中学校・高等学校」として、 現在は盛岡の中心地から郊外の山岸に修道院も共に全面移転をし、恵まれた自然環境の中、広いキャンパスで教育活動が続けられています。 また四ツ谷カトリック教会での聖書講座を担当しての宣教活動もしています。
医院は昭和40年代に廃院されましたが、学校は「盛岡白百合学園幼稚園・小学校・中学校・高等学校」として、 現在は盛岡の中心地から郊外の山岸に修道院も共に全面移転をし、恵まれた自然環境の中、広いキャンパスで教育活動が続けられています。 また四ツ谷カトリック教会での聖書講座を担当しての宣教活動もしています。
山菜料理おいしくできました
シスターの後ろ姿